北川達也「祈り方が9割 願いが叶う神社参り入門」

この記事は約6分で読めます。

著者:北川達也

単行本(ソフトカバー): 288ページ

出版社: コボル (2018/12/1)

言語: 日本語

スポンサーリンク


出会い

スピリチュアルな本かな?と手に取りましたが、裏切られました。
大変いい意味で。
そして出会えた事に感謝したくなる本でした。
著者の方の考え方に大変感銘を受け、ファンになりました。


どう生きていけばいいのか?
道を示して貰えたような、そんな素敵な出会いでした。


感想

何をやってもうまくいかない。
何かに縋りたくて「助けて下さい!辛いです。苦しいです」と心の中で祈る。
けれど一向に状況は改善されず、「神も仏もいないんだ」と絶望する日々。
奇しくもそんな中巡り合ったこの本が、心の中で燻る思いを晴らし、道を教えてくれたように感じました。


そんな書き出しで感想を語ると、スピリチュアルな本なのでは?と思われてしまうかもしれません。
ですがタイトルの通り、神社へのお参りの仕方を教えてくれる本です。
けれどそれだけではありませんでした。


タイトルにもあるように「祈り方が9割」なのです。
ですから祈り方についても、とても分かりやすく説明されていました。
その部分に大変感銘を受けました。
そしてそこだけではなかった事が、私にとってはとても良かったように思えました。


祈り方についてだけ書かれていると、どうしてもスピリチュアルだけと言う印象を受けます。
けれどきちんと神道を学ばれた著者が、神道を通して神社へのお参りの作法から始まり、どう祈ればいいのかを教えてくれる。
その流れがあるからこそ、よりすーっと自分の中に浸透していったように思います。


神社のお参りの作法

神社仏閣が好きで、両親に観光に連れ回される際も、近くに神社仏閣があれば寄ってもらうほど。
けれど見るのが好きと言うだけの私は、正しい作法を知らぬままお参りしていました。
服装も神社に行こうと出ていないこともあり、正しいものではなく、更には祈り方も間違っていました。


正しい服装、作法を説明された時、正直最初は「そこまでしてお参りしなくても」と、ネガティブに捉えてしまったのです。
ですが、そんなネガティブな気持ちも、読み進めるうちにポジティブに変換され、むしろお参りに行きたいと思えるように。


細かい作法を書かれているにも関わらず、とても素直に受け止められるようになるのは、決して私が素直な人間なのではなく、文章の持つ雰囲気、つまりは著者の人柄なのではないでしょうか。


そしてポジティブに捉える事が出来た今は、服装も作法も必要なのだと思えるように。
例えば、新しいスマートフォンを買ったとします。
でも買っただけでは使えないですよね?
細かい設定の作業がありますから。
パソコンを購入しても、セットアップしないと使う事が出来ませんよね?
神社にお参りする服装や作法も、そう言う準備と同じなんだな…と思えました。


お参りをしてお祈りをする。
願い事を聞いて貰う為には、神様へ願いを届けて貰う下準備が必要だと言う事なのかな?と。


祈り方

お宮参り、七五三、初詣。
人生の様々なシーンで神社とご縁はあると思います。
私も毎年初詣には、近くの神社へ家族でお参りに行きます。
そんな時、皆さんはどう祈っていますか?


私は以前父に「初詣ではお願いではなく、感謝を伝えるんだ。去年は1年間守って下さり、ありがとうございますと」と言われた事があります。
以来、初詣では感謝を伝えるようにしていました。
神様なら私の願望はご存知だろう…とも思っていたので。


けれどこれは間違いだったのですね!
父の感謝を伝える…は完全に間違いではなかったのですが、神様ならご存知だろうとお願いを伝えないと言う部分が間違いでした。


感謝を伝えるだけでは足りない。
だから父の教えは不十分ではありました。
プラス、叶えて欲しい願い事をお伝えするのが正しかったようです。
けれどここからが大切な所で、「不浄な願いは聞いてもらえない」のです。
私の最大の間違いもこれでした。


自分のための願い事は「不浄な願い」てある為、神様には聞いてもらえません。
神様は世の為人の為、自分以外の誰かのための祈りを聞き入れてくれるそうです。


そう言うことを教えてくれただけでなく、自分のためだけの願いを清浄な願いへと変換していく方法を丁寧に説明してくれていました。
その部分がとても優しくて温かいのです。
読んでいて温かい気持ちになり、涙が溢れました。


例えば「結婚したい」と私が願っていたとします。
でもそれは私のためだけの願い。
だからそう祈っても「不浄な祈り、不浄な願い」なんですよね。
それを「私が幸せな結婚をして、両親が喜んでくれますように」と祈る。
そうする事で「清浄な祈り、清浄な願い」となるそうです。


自分の願い事を自分の側から見るのではなく、外側から見ると言うのでしょうか?
自分の側からしか見ないと見えないけれど、外側から見るつもりになると、結婚している自分がいるとして、その時周りはどうかな?と考える事が出来る。
そうしたら両親が喜んでくれるんじゃないか?とか、友達も喜んでくれるんじゃないか?とか、そんな風に見る事が出来たんですよね。


そして以前苫米地英人さんの著書を読んだ中に「抽象度を上げる」と言う話があったことを思い出しました。
自分の願望を外側から見る、広い視野で捉えていくと、それは自分一人の願望から、誰かのためになる願いへと変わっていくのかな?と思えました。


そんな風に思えたのも、今回この本と出会えたからです。
自分の願いを人のための願いへと変換していく方法を教えて貰えたからです。
そして著書の言うように、そんな風に願いを変換していくことで、心が温かくなるような、洗われていくような気がしてきたのです。


最後に

まとめと言うほどの事ではないのですが、この本は読み進めていくうちに、不思議と清らかな気分になれる本です。
神社の説明も細かく書かれていて、読んでいるうちに、神社へ参拝しているようなイメージが湧いてきました。
そして読み終えた今、あたかも神社への参拝を済ませたような清らかで安らいだ気分になれました。


辛い、苦しいばかりだった日常が、少し変えられるかも知れないと。
今はそう思えるようになりました。
なかなか遠くの神社への参拝はすぐには難しいかも知れません。
でも近くの神社から始めてみようと思いました。


そして神社へ参拝していない時でも、日々何かに縋りたい頼りたい時に、つい心の中でお願いを唱える事はありますよね?
そんな時も自分だけの願いではなく、誰かのための願いとして唱えられるように、考えられるようになりたいと思います。
そうしていく事で、少しずつ自分自身が変わっていけるかも知れない?
そう思わせてくれたのです。


どんな心で生きて行けばいいのか。
それを教えてくれた、道を示してくれたのがこの本でこの著書でした。
本当に出会えてよかったです。
素敵な本を、素敵な言葉をありがとうございました。


スポンサーリンク
タイトルとURLをコピーしました